知覚の哲学
- 作者: モーリスメルロ=ポンティ,Maurice Merleau‐Ponty,菅野盾樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/07/06
- メディア: 文庫
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目次
まえがき
第1章 知覚的世界と科学の世界
第2章 知覚的世界の探索――空間
第3章 知覚的世界の探索――感知される事物
第4章 知覚的世界の探索――動物性
第5章 外部から見た人間
第6章 藝術と知覚的世界
第7章 古典世界と現代世界
メルロ・ポンティ『知覚の哲学 ラジオ講演1948』読了。連続ラジオ講演の内容を書籍にしたもの。本文よりも圧倒的に訳者の菅野盾樹氏の注の方が分量が多い。しかしそのおかげで比較的理解しやすくなっているように思えた。
個人的な関心に引き寄せれば、やはり「客観的知識」に基づくのではない私の信仰というものが、どのように獲得されているか、ということに示唆を与えてくれそうな気がした。
信仰というものは、今ここで生きている私と切り離して考えることができないものである。その意味では、たとえば神の存在を自分抜きに議論することはそもそも的外れだと言わざるを得ない。私に訴えかける神、という認識なくして、神を見出すことはできないように思われる。聖書は、「神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ」と言っている。だが、被造物を見てもすべての人が神を認めるわけではない。もし被造物を見て神を認めることができるならば、世界中の人すべてが神を認めているはずではないか。
神を認めることは「啓示」に対する各人の態度の問題であるということができるかもしれない。私の態度が問題ならば、そこには受容/否認という分岐が生じることにもなる。そして語られる言葉は受容/否認の分岐をすでに経たものであり、語られる言葉の内容によって受容/否認以前の問題を解決しようという方法には根本的な顛倒があるのではないだろうか。