続き

承前 心理学の最前線―専門家11人との対話

リチャード・グレゴリー

3章は「視知覚と錯視」。対談相手の顔写真が章扉に貼ってあるのだが。今回のグレゴリーさんはちょっと強面な感じ。
章タイトルの通り、色々な錯視が紹介されていて楽しい。
錯視といえばゲシュタルト心理学の名前が思い浮かぶが、ゲシュタルト心理学の考え方には批判的な部分が出てくる。
カニッツァの三角形の扇形の角度を狭めると白い三角形の辺が湾曲して見える。このことを捉えて、脳の生理機能ではなく、推測や仮定が働いていると主張されている。

神経系の活動の不在と知覚

(略)神経系の活動と、その結果引き起こされる知覚とを同等の物として扱うことは、少なくとも神経系の末梢部分の活動においては不可能だと思います。繰り返しますと、輪郭線や明度の変化、そして三角形を知覚させるのは、神経系の活動の不在だからです。
脳内のコードに基づいて、神経系の中の生理学的情報を読めるようになるかもしれませんが、それまでは生理過程と知覚とを結びつけることはできません。
p.79-80

とにかく知覚には推測や仮説が重要だということのようです。知覚と仮説は区別できないとも言ってます。

ポパーとエックルスへの批判

最近知ったのだが、ポパー心身二元論的な考えを持っていたらしい(文献未読)。
asin:4783501378
これは意外だった。

(略)ポパーとエックルスは次のようにいいます。ネッカーの立方体を見ている時、人は図形を反転させようと思うことができる、そしてそのことは、精神が脳に影響を及ぼしていることの例になっていると。精神の働きが原因になりうる、つまり精神は脳の一部ではなく、脳に影響を及ぼすことができるという議論は古くからあります。率直に言って、私はこのような主張を好みません。脳の一つの機能、ここでいえば意志に結び付いた機能は、脳の機能の他の部分に影響を与えることができる、ということで反論したいと思います。
p.86

幽霊のようなものとしてのコンピュータ?

(略)コンピュータのような複雑な機械は、いささか幽霊じみたところがあると思います。コンピュータは機械に基づいては記述できない手続きを実行しているからです。
コンピュータに数学を実行させるためには、数学的概念で手続きを記述する必要があります。電子工学や機械工学の用語では不適切です。
p.87

いいかえると、ここには二つの言語があることになります。一つには装置を造るための物理学、電子工学があり、これをコンピュータと呼びましょう。他方コンピュータによって実行される手続きがあり、これには別の言語が必要とされます。対数の概念は、もちろんかけ算でもよいのですが、機械それ自体では記述できません。手続きの中に記述されているのです。
p.88

ダニエル・デネット

4章は「人工知能」。デネットはなんとなく食わず嫌いで好きになれていないお方。まあ、進化論がらみのことがあるので当然ですが。
人物紹介では、オックスフォードでギルバート・ライルと共に研究に従事した、と書いてある。なんとなくライルの『心の概念』のような議論とデネットの「カルテジアン劇場」批判的な議論の相互影響関係的なものが見えそう?
この章の位置づけとしては、心理学と哲学の和解が進んでいるよ、的な意味合いでデネットが呼ばれたようである。
全体的には精神と脳の機能を理解するアプローチとして、トップ・ダウン型のアプローチとボトム・アップ型のアプローチを比較して、トップ・ダウン型の方が期待が持てるんじゃないか、という話がメイン。意味論的情報(脚本の「書き方」と「内容」という区分でいえば、「内容」にあたるようなもの、と説明されている)という考え方が重要である、など。
専門的で単純な下位のシステム(つまり全体の機能には無知な下位の要素)を考えることで、頭の中の小さな小人の中の小人の中の小人の…のような無限後退を避けられる、と論じている。